発達障害って何?

【発達障がい】という言葉を聞いたことがありますか?

私は、我が子が10年前の11歳の時に診断され、その時初めて知りました。

ちょうどその頃に「発達障害者支援法」というものが国で施行されたばかりで、当時は本当にまだまだ認知されておらず、教育の現場でも医療の現場でも皆が手探り状態だったと記憶しています。

この10年の間に【困った子】から【困っている子】との認知が広まり、生きにくさを抱えている人(児)たちの理解者がどんどん増えてきたことは本当に嬉しく感じています。

 自閉スペクトラム症

現在は【発達障がい】から【自閉スペクトラム症】と呼ばれるようになりました。

ここでは自閉スペクトラム症への理解の一助になっていただければと思い、専門医である中西ドクターよりご協力を頂き、「自閉スペクトラム症と注意欠如多動症(ADHD)について」をご紹介させて頂きます。

「自閉スペクトラム症と注意欠如多動症(ADHD)について」

発達障害の理解のために

 

自閉スペクトラム症と注意欠如多動症(ADHD)について

中西心療内科・内科医院 中西 善久

はじめに

なにかのいきさつで“発達障がい(神経発達症)”と診断を受けられて、そのご本人はもとより、親ごさんやそのご家族など周囲の方たちがまず気づかわれるのは、「この診断はいったいどういうものなのか?」、それと、「これから自分(うちの子)はどうなっていき、周りはどう対応したらいいのか?」ということだと思います。

もしかしたら、診断がついたことで、「これまで気がかりだったことが、やはり」と、思いをめぐらせておられる方も、また、予想外のことに驚かれる方もおられることと思います。
それでも、これまで心配されてきた様ざまな困りごとに「なるほどこういう理由で、こういうことになっていたのか!」と、なんとか説明もつき、「それなら、あれも、これも、こういうことだったんだ!」と、いろいろな心配が整理しやすくなられたかもしれません。

また、周囲にも説明し、理解を得て、協力を求める手立てができることになるかもしれません。
それでも、「まだまだわからないことだらけで不安だ」と、そんな心もとないところも当然おありでしょう。

一方で、これまでの対応の中で「本当にこれでよかったのかなあ?」と迷っていたのが、「それなら、こんなふうにやってみたらどうだろう!」と見とおしをもった、筋のとおった工夫もできそうで、ちょっとひと安心に思われたかもしれませんし、それでもやっぱり不安だらけというのも無理もないことなのかもしれません。

そういった一つひとつのことについて、診察の中だけで十分納得いただけるまでお話しするのは時間の制約もあったり、また、一度聴いただけでは理解がむずかしかったりもします。
何かもっとまとまった形でお話しができたらいいのに…
そんな思いからこれを書きました。

ご本人、親ごさんやご家族の方、それもいろいろな年代の方が読まれることでしょう。
実際に、内容は、乳幼児期から思春期までのことが大半となりましたが、いろいろな困りごとや心配ごとに対応していくときの考え方や取りくみかたには、年齢を超えて一貫したものがあるように思います。
どうか、ご参考にしていただけましたら幸いです。

第Ⅰ部:自閉スペクトラム症と注意欠如多動症(以下、ADHD)の概要について

(1)“自閉スペクトラム症”とは
■まず、「なにか違う?」と気づく

幼児期の話になりますが、周りから見ても、その子どもは、ひらがなや数字、なかにはロゴマークなどの変わったものに興味を持って、その興味のあるものはおどろくほどよく覚えます。
その一方で、ことばを話したり、ほかの子どもと遊ぶことなど日常のなんでもないことが苦手だったりします。
また、親の呼びかけにあまり反応しなかったり、楽しい経験をしたときにその楽しさを誰かと分かち合おうとするようなそぶり(一緒に笑う、差し出し、指さし等)を見せなかったりします。
つまり、できること(得意)とできないこと(苦手)が極端だったり、周りの人と気持ちを通じあわせることが少なかったりすることなどが、どこか気になっていたりするかもしれません。

また、ちょっとしたことで激しいかんしゃくを起こし、頭を床や壁に打ちつけたりするので、周りはどう対応したらよいのか困り、どこか育てにくいと感じることもあります。
逆に、周りになにかと求めてくることがなくて、一人で寝かしていてもおとなしくしていたりして、「手のかからない子」と感じる子どももいます。
そんな様子に、「子どもには、みなそういうところってあるもの?」と思われたかもしれませんし、一方で「なにか違う?」と感じてこられたかもしれません。

周りから見ればそうなのですが、まだことばが出ていなくても(あるいは、出ていても)当の子どもにすれば、こんな気持ちなのかもしれません。
「人とかかわりたくてもどうしていいのかわからなくて、不安」、「人とのあいだでなんとなく違和感のようなものを感じて、緊張してしゃべれない」、「なぜかいつも周りから置いてけぼりになっている」、「一人で好きな遊びをしているときがいちばん安心」など。
このような感じ方や体験のしかたも、そして、それをことばにするかどうかも、年齢や発達段階によって様ざまにかわってきます。

自閉スペクトラム症をもつ子どもでは、幼児期はもちろんそれ以降も、そのような人とのかかわりの中での“違和感”は意識されにくいかもしれません。
ところが、第Ⅱ部でも述べるように、思春期から青年期にかけて、「自分の目の前の人にも、何かを感じたり、考えたりするこころが、自分と同じようにあること」(“こころの理論”)に気づき、さらに、「ほかの人の目に自分はどのように映っているのか?」(“他者の視点”)ということを意識するようになると、「自分はどうやら、どこかほかの人とは違うようだ」と自分と他の人との違いを意識するようになります。
そうすると、周りの友だちや人にとても敏感になります。

例えば、「人とどうやって話しをすればいいんだろう?」と過剰に意識したり、また、自分の言うことが場にそぐわない“正論“(例えば、教室移動の時に、「授業に遅れるからといって廊下を走ってはいけない」と言い張る)であることに気づかず「自分は正しいことを言っているのに、周りが『それはおかしい』と言うのはどうしてだろう?」と悩んだりします。

つまり、自分と周りの人との“違い”が不安になります。
そうして、その違いを埋めるために様ざまな努力を重ねるようになります。

自閉スペクトラム症の“こだわり”といった特徴一つをとってみても、それには「そうしたくてそうしているわけではない」というところも確かにあるものです。
例えば、先のあくまで“正論”を頑として通そうとしてしまう(「廊下は走らない」)という“こだわり”の例では、「『周りの目から見ても、やっぱり自分はこれで正しいんだ』と納得できるまで、何度も「廊下は走らないものだ」と同じ話しをくどいほどくり返えしする努力を重ねる」といったところが見られます。

“こだわり”にも、そのような「周りも納得させなければいけない」という努力が含まれてきます。
“こだわり”という特徴も、「そうでもしなければ自分を保っていけない」という面をあわせもっているようです。
ですので、これから述べていく自閉スペクトラム症の特徴といっても、 生まれ持っての自然な特徴、つまり、その子ども(人)らしさでもありますが、それでも、その子ども(人)は、生きづらさを感じつつ、自分なりにどこかでその特徴と何とか折り合いをつけながら日々の生活を送っているということでしょう。
周囲から見れば「困ったことをする子ども(人)」であっても、本人にしてみれば、ほんとうは「困っている子ども(人)」なのです。
そうして、そのような周囲の方やご本人自身の何か困りごとや心配ごとがあったからこそ、相談や受診につながったのだと思います。

■自閉スペクトラム症を疑わせる兆候となる特徴の様ざまなあらわれかた

では、その「なにか違う」と気づいてご相談に来られる内容にはどういうものがあるでしょうか。

一つは、発達の道筋を示す道しるべ(マイルストーン)になるようなことで、同年齢の子どもなら出来ている時期に、それが「まだないこと」
もう一つは、同年齢の子どもには通常は見られない困りごと(不適応)が「あること」のどちらかです。

子どもの年齢が低いうちは、前者の、例えば、「ことばがなかなか出ない」などの、「まだないこと」に気づかれるほうが多いようです。
そして、年齢が上がるにつれて後者の、例えば、周りにあわせようとせず自分のルールを押し通そうとする行動やマイペースな行動、こだわり、さらに、思い通りにならないときのかんしゃくなどの困りごとが「あること」のほうが多くなるようです。

また、この「まだないこと」の方は意外と気づかれず、「あること」の方が目立ちやすいものです。
例えば、1歳半の乳幼児健診でも、この「まだないこと」は案外見過ごされてしまうこともあります。
それに対して、困った行動が「あること」は気づかれやすく、特に、同年齢の集団の中にいるときに目立ちます。
例えば、同じ乳幼児健診の場面でも、健診の診察室の中で他の子どもとは個別に、検査者の質問に答えるなどといったおとなとの受け答えの課題がはっきりした場面では、違いはあまりあらわれません。
それよりむしろ、その待合いなどの子どもがたくさん集まる場面で、「怖がって、泣きやまない」、「とにかく走り回っている」、「はかの子どもが近寄るといやがる」、「寝てしまって、どうやっても起きない」といった困った行動として目立ちやすいものです。

それらのうちで、自閉スペクトラム症の兆候と考えられる特徴について、発達の各段階に分けてあげていきます。

①乳幼児期では、次の「マイルストーンがまだないこと」のうちのどれか一つでもあれば、自閉スペクトラム症の兆候である可能性が考えられます。
  • 人を求めようとしないで、あまり泣くこともなく、一見手がかからない。
  • 泣き出したら、おとなが抱いてあやしてもなかなか泣き止まない。
    どうあやしても一日中泣いてばかりいる。
  • あまり笑わない。
    人を求めて、人と視線をあわせていっしょに笑うことがない。
    笑っても、自分だけでおもしろがって笑うが、人とのあいだで楽しさを分かち合って笑うこと(社会的ほほえみ)がない。
  • 一人でおもちゃで遊んでいると機嫌がよい。
    呼んでも気づかない。
    6~7か月ころには、おとなとのやりとりの中でおとなの働きかけに何か意味があるとわかって反応するが、それがない。
  • おネンネがうまくできない。
  • 決まったものしか食べられない。
  • 離乳食から固形食への切り替えが容易でない。
  • なかなかおむつをはずすことができない。
②幼稚園や保育所では、友だちとやりとりすることのむずかしさや、身辺自立を身につけていく際にこだわりのような行動がでるといった困りごとが目立ってきます。
  • 他児に手が出たり、先生の指示に従えないなど集団行動がむずかしい。
  • 一人遊びが多い。
  • ほかの子どもと同じ場面で笑うことがないなど周囲と協調することや、見たそのままのまねっこができない。
  • 幼稚園や保育所への行き渋りがある。
  • トイレ・トレーニングがうまくいかない。
  • おひるねがうまくできない。
  • 偏食がひどい。
③小学校では、集団での動きやルールに関心を寄せず、集団行動が苦手な様子や、自分の興味に没頭するこだわりがなど目立ちます。
  • 入学後少したってから、何かと不適応が目立つ。
  • 小1をなんとか乗りきることができても、小2ころから周りの子との違いが目立つようになってきて、うまく遊べなかったり、学校へ行き渋ったり、他児に手が出たり、教室を飛び出したりして集団行動がとれなくなる。
  • 先生の話しが聞けないなど勉強に集中できない。
  • 時間や決まりを守ることなどへのこだわりや、完璧さを求めるような行動がみられる。
  • 学校と家庭での行動の違いの差が大きい。
    例えば、学校では暴れていても、おうちではお利口さんだったり、また、その逆のこともある。
  • かんしゃくを起こしたり、逆に固まってしまうなど、自分の感情のコントロールがしにくい。
  • いじめにあいやすかったり、不登校になる。
  • 興味のあることは得意で、集中力もあるが、行事や勉強の科目の中で興味のないことはしない。
④中高大の就学中(思春期・青年期)では…

中学・高校では、一日の多くの時間を、同じメンバー・同じ教室で授業を受ける。
このような同一性・画一性の高い集団は、その構造の明確さがプラスに働く場合もあるが、社会性やコミュニケーションの苦手が際立ちやすく、同年齢集団への参加困難や孤立をもたらす場合もある。

こだわりが、特定のアニメや趣味にはまりこむという形で表れ、それが同年齢集団との好みのズレとなって孤立につながる場合もあるが、同じ趣味の友だちとつながる契機となる場合もある。
また、こだわりは、校則などのルールを過剰に守るという形で表れ、集団のリーダーとして期待される場合もあるが、同年齢集団の反発を招き孤立する場合もある。
大学では、スケジュールやルールや秩序が緩み自由度が高まることが多く、また、自分で授業を選択する、自分の考えを発表するなど、自分の判断や考えが求められることが多く、混乱する場合がある。

  • 不登校をはじめ、何らかの身体的、あるいは精神的な不調を起こす。
  • 学校になじめず、社会的に不適切な行動をする。
  • いじめも含め、何らかの犯罪被害にあいやすい。
■自閉スペクトラム症は、発達のアンバランスによるものです

上述したしような「なにか違う」と思わせるものは、子どもによってあらわれかたは様ざまですが、それらは結局、次の2つの大きな特徴に集約されます。

一つは「人との相互的なやりとりが苦手」ということで、もう一つは「変化が苦痛でいつもどうりであることにこだわる」といった特徴です。

“自閉スペクトラム症”は、そのような2つの大きな特徴がそろってはじめて診断されます。
そして、それ以外にも生活のいろいろな場面でその子ども(人)なりの困りごとが生じます。

それはどうしてか?
そういった特徴は、脳の情報処理のしかたの発達上の特徴、つまり、脳のある部分の働きはよく発達し(得意)、ある部分の働きに発達の滞りがある(苦手)といった発達上のアンバランスによって生じてくると考えられています。
WISC、WAIS、新版K式などの発達検査を受けられた場合では、部分部分に分けて取り出された各認知能力のあいだのアンバランスさを、数字やグラフなどある程度目に見える形(凸凹)で示されたと思います。
では、脳のどの部分がどうなのかは、また、遺伝が関係するのかということも含めて、まだはっきりと解ってはいません。
ただ、これだけは言えるのは、それは、親の育て方によって起こってくるものではないということです。

■自閉スペクトラム症の特徴は様ざまな形であらわれます

その発達上のアンバランスさは、当の子ども(人)個人の中でも、あるいはほかの子ども(人)と比べてみても、「得意と苦手の差が大きい」ということです。

それは生活上のいろいろな場面にわたって、つまり、“対人コミュニケーション・行動・情報処理(身体感覚)など”にあらわれてきます。
また、不思議なことに、同じ自閉スペクトラム症という診断を受けていても、その子ども(人)によって、特徴が両極端に分かれたりすることもあります。
例えば、人なつっこくてよく話しかけてくる子ども(人)もいれば、相手からの働きかけに受け身的には従えても自分からは積極的にかかわろうとしない子ども(人)や、話しかけられても反応せずに固まってしまう子ども(人)もいます。
[対人コミュニケーション面の特徴]

また、必要以上に几帳面な子ども(人)もいれば、朝の登校(出勤)準備もなかなかできず、いつも遅刻していく子ども(人)もいます。
[行動面の特徴]

さらに、一回通れば道順をすっかり覚えてしまう子ども(人)もいれば、同じ道を何度も迷ってしまう子ども(人)もいます。
[情報処理(身体感覚)面の特徴]

また、両極端の特徴が同じ子ども(人)にいっしょにみられることもあります。

さらに、自閉スペクトラム症の特徴は、その時々によって、また、相手や場面によってあらわれたりあらわれなかったりします。
例えば、よく知られている「視線が合わない」ということを例にとると、いつもいっしょにいる親やなれた人とは視線を合わせますが、ふだんから見慣れていない人や初めて会う人には視線が合いにくいものです。
例えば、診察の場面などで、1対1で対面して質問したときにはなんとか目を合わせるのに、診察室に入室してすぐには、中にいる見知らぬ診察者には目もくれないし、こちらから声をかけても反応しないことがほとんどです。
また、遊んでいるおもちゃを取りあげようとすると、邪魔する人の目には視線を向けずに邪魔してくる手だけを見て、その手をどかせようとばかりすることもよく見受けられます。

人に対する関心が弱く、人よりもモノの方に興味が向かってしまうのかもしれません。
あるいは、相手の全体(的な印象)より(具体的な)部分に目が行ってしまうのかもしれません。

また、“自閉”ということばが使われていますが、そのことばからイメージされるような、「人を避けて、自分の殻にじっと閉じこもっている」というわけでは決してありません。
むしろ、自分に関心を持ってほしい、相手をしてほしいと思っている子ども(人)も多いのです。
その気持ちを、いつごろ、どのような形で表にあらわすか、あらわさないか、それもまた様ざまです。

■自閉スペクトラム症の特徴は年齢や発達の段階によって変化し、気づかれにくいこともあります

また、そのような特徴は、年齢や発達の段階によって変化していきます。
例えば、人見知りが全くと言っていいほどなく、だれにでも近よっていく子どももいれば、人見知りがひどくて、同年齢のほかの子どもには興味を示さず、一人遊びばかりしている子どももいます。
それが、人見知りが全くない状態から、やがて相手とのかかわり方が一方向的だったりしてトラブルになりがちなためか、いつのまにか極端にほかの人に対して緊張するようになる場合もあります。
また、一人遊びばかりの状態から、やがて就学前には人とやりとりをする技術(ソーシャルスキル)を身につけて、ほかの子に混じって行動できるようになる場合もあります。

このように一時期の状態だけではなく、発達の道筋をしばらくたどってみてはじめて、子どもの対人相互的な特徴が見えてくることもあります。

また、発達にほかの子どもとズレが生じることもあります。
例えば、以下で述べますが、自閉スペクトラム症をもつ子どもでは、通常1歳半までにはできるはずの“指さし”ができないこともありますが、その後必ずと言っていいほどできるようになっていきます。
それも「ある日突然できるようになった」ということがよくあります。

自閉スペクトラム症をもつ子どもでは、ことばを獲得していく道筋についても様ざまです。
一歳半健診の時点では、意味のあることば(有意味語)の少なさを指摘されたり、応答の指さし(「○○はどれ?」と聞かれたものを指さす)の課題を通過できない子どもも案外多いものです。
また、ことば数としては多くても、キャラクターの名前とか、ビデオのセリフなどにかたよっていたりすることもあります。
それが、3歳前後で急にことば数が増えて、3歳児健診では問題がなかったということもあります。

ところが、さらにそれ以降の年齢になって、相手とのことばでのやりとりが徐々に複雑になってくるにつれて、あらためてその苦手さが目立つようにもなります。
例えば、「会話が成立しない」、「自分に興味のあることを一方的に話し続ける」、「質問にオウム返しで答える」、「質問のしかたが変わると答えられない」というようなことが見受けられます。
また、幼児期後期では、入園などで集団行動が始まると、「先生が子ども全体に向って言ったときに、その指示が理解できない」、「人の話を聞いていない」というようなことも見受けられます。
これは、ことばを表出することよりも、相手の話していることへの興味のもちかたやことばの理解のしかたにかたよりがあるということです。

一般的には、自閉スペクトラム症の特徴は、3歳から6歳くらい(集団行動や身辺自立が課題となってくるころ)に最も目立ってくることが多いようですが、ときには思春期や成人期になってはじめて目立ってくることもあります。
さらに、幼児期のころは自閉スペクトラム症の特徴が花盛りで、困りごとだらけだった子どもも、成長するにつれ、そのような苦手は“個性”という許容範囲内におさまっていく場合もいくらでもあります。
そのような特徴を持ちながらも、本人も周囲もそれとは気づかず、あるいは何となく違和感をもちながらも、その人なりに生活の中にささやかな楽しみややりがいを見出しながら、平凡ではあっても社会人として充実した幸せな生涯をおくられている人もたくさんいます。

ですので、そのような自閉スペクトラム症の特徴(発達のアンバランスさ)は、だれの目にも目立つこともありますが、本人自身にさえ、そして周囲の人にも気づかれにくいことも多いのです。
それでも、その特徴は、その子ども(人)なりの様ざまな生きづらさにつながっていきます。
そのため、本人も含め周りの方にも、まず、「そのような特徴として気づいて」いただくことが大切です。

■自閉スペクトラム症の特徴、その中心となる2つの特徴とそれ以外のさまざまな特徴

自閉スペクトラム症は、以前は、“広汎性発達障害”と呼ばれ、さらに、その中でも、自閉症、アスペルガー症候群、非定型自閉症、特定不能の広汎性発達障害(あるいはグレーゾーン)などと細かく分類がなされていました。
それが、最近では“自閉スペクトラム症”と一つにまとめられています。
というのも、それらの分類のすべてに、次のような「様々な苦手の中でも、特にこの2つが困難だ」というところが一貫して見られるからです。

① 一番目の特徴は、周りの人々との自然な、その場に応じた臨機応変な対応やコミュニケーションが苦手で、集団の場合なら、その集団のルールや全体の動きを読みながら集団の中へ入ることができなかったり、周りの人の意図をくみ取ってそれに協調して動くことに苦労したり、周囲と相互的なやりとりになりにくく一方向的な言動になりがちなところです。
そうして、人とかかわることよりモノへと興味が惹かれがちになります。
そのため、友だち関係や集団に入っていけず一人でいたり、また集団に入っていきたくて入っていったとしても、そこでどうふるまっていいのかとまどって浮いてしまうこともあるかもしれません。
ただ、年上・年下などの上下関係や、集団の中での自分の役割(例えば、当番や学級委員、劇中の役など)があらかじめはっきり決まっている状況では、なんとかその役割に応じたふるまいを学習して身につけて、それに合わせて対人関係を保てたりすることもあります。
「対人相互的反応の困難」

② 二番目の特徴は、「自分にとって今目の前に見えている世界がすべて」で、それが少しでも変化してしまうと、もうその先が見とおせなくなって「自分はいったいどうすればいいの?」と見当がつかなくなってしまう。
また、ものごとがいつもの決まったとおりでないと、不安で混乱しやすいというところです。
そのために、いつもと同じ状況、同じやりかた、マイペースを続けようとします。
変化を受け入れることが苦痛だったりする。
つまり、状況が変わったときに、自分の気持ちや行動や役割を切りかえることが苦手で、それには時間もかかったりします。
ですので、新しい場面や初めての人も苦手です。
また、融通がきかず几帳面すぎたり、相手のことばをそのとおり真に受けたり(冗談が通じない)、やけに理屈っぽかったり、思いこみが強かったり、規則をあくまでも厳密に守ろうとする一面もあります。
でも、それは、自分が納得していったん受け入れたことは、まじめにコツコツとやり抜こうとする長所でもあります。
興味の面では、特定の興味のある事がらに没頭したり、そのことについて抜群の記憶力を見せたりしますが、反対に、興味のないことには全く無関心だったりします。
「同一性への固執・こだわり」

以上の二つ、「対人相互的反応の困難」と「同一性への固執・こだわり」とが、自閉スペクトラム症と診断された人に一貫してみられる「2つの大きな特徴」となります。
それらの大きな特徴も、年齢や発達の段階、性差、個人差などによって、極端に正反対の形であらわれることもあります。

例えば…

  • 一人でいようとしたり、反対に、仲間どうしいつも同じ格好をしようとしたり、ツルんでいたり
  • 無口であったり、反対に、おしゃべりだったり
  • マイペースさをつらぬいたり、反対に、自分が人に合わせられているのかを気にしすぎたり
  • 誰に対しても同じ態度だったり、反対に、相手によって極端に態度が変わったり
  • 正直すぎたり、反対に、ためらいもなく嘘をついてケロッとしていたり
  • 几帳面すぎたり、反対に、だらしなく見えたり

と様ざまな両極端なあらわれかたをします。
なにごとも「ほどほどに」ということが難しいのかもしれません。

さらに、不思議なことに、同じ人であってもそのような正反対の特徴が時と場によって、つまり、調子の良い・悪いといった“時”によって、安心できたり緊張したりする“相手や場所”によって、あらわれたり、あらわれなかったりすることがあります。
これらは、たとえ正反対の特徴であっても、共通して「対人相互的反応の困難」と「同一性への固執・こだわり」といった大きな特徴と考えることができます。

そのほか、次のような特徴があったり、なかったりと様ざまです。

③ 癇癪・パニックになったり、大泣きしたり、反対に、その場で固まってしまったり。
ときには困っているのにニヤニヤ笑いになったりなど。
緊張感も含めて感情を表にあらわすことを、その場その場に合うように調整することが苦手なところがあります。

④ 感情の起伏が激しかったり、反対に、感情が表に出にくいこともあります。

⑤ 特定の感覚の敏感さ、反対に、鈍感さがあることがあります。

⑥ 手先の細かな動きや、動作・身のこなしなどの大きな運動の不器用さ・不自然さがあったり、反対に細かな絵を描いたりとか、ある領域では特別に器用だったりします。

⑦ 人の話を途中で理解できなくなって最後まで聞けなかったり、反対に、ある特定のことでは隅々まで記憶が抜群だったりします。

⑧ 睡眠リズムや体温、発汗、排泄など自律神経系の働きが乱れやすいこともあります。

このようなさまざまな特徴が、人によってあったり、なかったりします。
具体例については、また、それらに対する実際の対処のしかたについては、次の第Ⅱ部でお話しします。

■“自閉スペクトラム症”という名前の意味

“自閉スペクトラム症”という耳慣れない名前にもそれ相応の意味があります。

最初の“自閉”とは、先に述べた「対人相互的反応の困難」と「同一性への固執・こだわり」といった特徴が目立つ場合、「“自閉”傾向が強い」と言います。
また、“スペクトラム”とは日本語では“連続体”という意味です。
そのような自閉傾向は、強い・弱いはあっても誰にでも見られます。

もしもの話しですが、自閉傾向が強い順に人を並べられたとしても、自閉があるか/ないかを区別する明確な線は引けないもので、みな連続しているということになります。
例えば、人を身長の順に並べてみても、ここからは背が高い人という明確な線が引けないのと同じかもしれません。
“スペクトラム”とは、そのような「連続している」という意味です。

また、“症”については、つい“病気”ということが思い浮かびますが、あとで詳しく述べますように「その人にもともと備わった性格や素質・体質に近いもの、というよりもっと流動的なもの」と言い換えることができるかもしれません。

歴史をひもとくと、かつて“自閉症”は、まれにしか見られない重い障害と考えられていました。
しかし、1970年代後半以降、「典型的な重度の自閉症ではなくても“自閉傾向”がわずかにでも見られる人たちも自閉症の仲間に含めよう」という考え方が、徐々に広まってきました。
そして、ほんのわずかにでも自閉症の特徴が見られる状態から典型的な自閉症までを幅広く含めて“(当時の名称で)自閉症スペクトラム”と呼ぶようになったといういきさつがあります。
“自閉スペクトラム症”という名前はその延長線上にあると言えます。

■自閉スペクトラム症と診ることの意味-できないことが苦手のせいだとわかること

そのような歴史的な流れをくんでいますので、自閉スペクトラム症という診断はかなり広い範囲の人まで含めることになってしまうでしょう。
また、「そのように広い範囲まで、あえて自閉スペクトラム症という見方(診断)をしないといけないのか?」と思われるかもしれません。
ただ、いくら明確な線は引けないといっても、その特徴のためにたいへん困っている人や心配している人がほんとうにたくさんおられることも事実です。
そして、その困りごと心配ごとは、単に、「なまけている」、「本人の自覚が足りない」、「親のしつけのしかた」などといったことではありませんでした。
それは、先に述べたように脳の情報処理の働きの発達上のアンバランスから、つまり、当の本人にすれば「自分なりに何とかしようとしても、どうにもできない苦手さがある」から起こってしまうのです。
ですので「できない苦手があって、それでも何とかしようとしている」という本人なりの事情をわかったうえで対応や支援がなされれば、子ども(人)は「自分のしんどさ、自分なりの努力をわかってもらえた」と周りへの信頼感を深めて、「それでも何とかやっていこう」と意欲を強くするでしょう。

そのようにして、早期から、子どもの気持ちを不用意に傷つけず、子どもなりの努力を大切にする対応を受けて育ち、同時に、特に社会的な対人関係の場面でふるまう技術(ソーシャルスキル)を身につけてきた子どもは、成長して社会への適応が順調にすすんでいくようです。

つまり、(参考文献からの引用)
『(自閉スペクトラム症という)レッテルを貼るために評価(診断)しているのではありません。
成果が上がりにくいことの原因が、子ども(人)の努力不足にあるのではなく苦手さにあると気づく。
ほかの子ども(人)がしていない苦労や努力をしているという事実をいっしょに味わい、努力が成果に結びつきやすい方法をいっしょに考える。
手に入れた成果の大きさをいっしょに喜ぶ。
それが、子ども(人)をまるごと受け止めるということです。』

それには、何よりやはり「苦手が苦手としてわかること」が前提なのです。
たとえほんのわずかにでも自閉症の特徴があって、それによる苦手で困っている子ども(人)や心配している親がたくさんおられるという事実がある以上、自閉スペクトラム症をなるべく広い範囲まで含めて捉えることの意味は、「まずは、その子どもの(人)の苦手を苦手としてわかること」そこにあります。

■“障害”か“個性”か?-“障害”でもあり“個性”でもある

“発達障がい”(神経発達症)とは脳の情報処理の働きの発達上のアンバランスということですので、大まじめで“発達凸凹”と呼んでいる先生もいます。
普通、“障害”と聞くと、“病気”や“症状”を連想しがちですが、“発達障がい”は「その人にもともとそなわった性格や素質・体質に近いもの、というよりもっと流動的なもの」と言えます。
ただ、そのためにその人なりの生活上の困難さを大なり小なり抱えているものですが、その困難が日常生活や仕事・学業などに支障をきたすほどにまで大きくなり、どうにも立ち行かない状態におちいってしまうこともあります。
このような状態になり、医療的な対処を必要とするようになってはじめて、“発達凸凹”が、医療上の発達“障害”ということになります。

また、長い目でみていくと、先に述べたように、子どものころは自閉スペクトラム症の特徴で困りごとだらけだった子どもも、成長するにつれ、そのような“障害”は“その人らしさ(個性)”という許容範囲内におさまっていく場合もたくさんあります。
一方、子どものときには“個性”と見えていたなんらかの苦手さが、思春期の到来、進学、就職、結婚、育児など、その人の成長の過程の中でそのつどの困難な課題に直面してはじめて一気に表面化して、“障害”となってあらわれてくることも見受けられます。

さらに、こんなふうに書いておられる先生もいます。
(参考文献から)
『子どもの特性は、どの子のどんな特性も“障害”であり“個性”です。
客観的に評価しそれに合わせた課題や支援を用意するとき、あなたはわが子の特性を“障害”としてとらえています。
同時に彼(彼女)の行動のほほえましさをいとおしく思い、あるいはそのユニークさに感心するとき、あなたはその特性を生涯続くその子らしさ(“個性”)として味わっているのです。
“障害”か“個性”か。
その区分はあなたがいま子どもにどんな視点を向けているかを示しているにすぎません。
そしてこの二つはどちらが欠けてもだめなのです。』

“障害”か“個性”か?
それは、親も含めた周囲の子どもに向ける視点の違いで、そのどちらも必要だという考え方です。
「子ども(人)の特性を障害としてとらえる」ということは、その子どものできないことや苦手を苦手として見つけ出す。
つまり、苦手(発達のアンバランス)だからこそできないのであって、その子どもの責任ではないとわかることです。
また、そうすることで客観的に診断し、それをもとに支援していくということが可能になります。
また、逆に、“診断という客観的な目”を持つことで、子どもの苦手が苦手としてわかっていくというところもあります。
そうして、その苦手を支援すること、いわば、「マイナスをプラスの方向に補っていく」という発想が生まれてきます。
それが、社会の中での適応をよくする、つまり、「生きづらさを減らす」ということになります。

「子ども(人)の特性を個性としてとらえる」ということは、『(子どもの)行動のほほえましさをいとおしく思い、あるいはそのユニークさに感心する』というふうに、「“親としてのまなざし”から見えるその子どものその子らしさを大切にする」ということです。
それには、たとえ苦手としてあるところでも、そこをできることならプラスとして見つけなおすということも含まれます。
つまり、「プラスを見つけ、それを伸ばす」という発想が生まれてきます。
それが、その子ども(人)に合った居場所(仕事や生きがい)を探していく、つまり、「生きる楽しさを増やしていく」ということになります。

診断は、世界中で統一した診断のための基準、つまり、「こういう特徴があれば、これこれこのような診断とします」という約束ごとにもとづいてなされます。
その基準の中では、自閉スペクトラム症について、「仲間関係をつくることの失敗」、「楽しみ、興味、成しとげたものを他人と共有することを自発的に求めることの欠如」、「他人と会話を開始し継続する能力の障害」などと、その子ども(人)の「失敗」や「欠如」や「障害」というふうに、基本的にできないことや苦手ばかりをとりあげています。

仕方のないことなのかもしれませんが、そこには、自閉スペクトラム症をもつ子ども(人)に多い「素直で正直(ウラとオモテがない)」、「やさしい」、「一つのことを考え抜く」といった長所は出てきません。
つまり、“診断という客観的な目”は、子どもの一面だけをとらえたものともいえます。
といっても、くり返しになりますが、そのような目をとおしてはじめて、子どもの苦手を苦手(発達のアンバランス)として見つけ出し、それをもとに「マイナスをプラスの方向に補っていく」であったり「生きづらさを減らす」という支援も可能になります。
親ごさんとしては、診断がついてはじめて、これまでの子どもの言動について合点がゆかなかったことが納得でき、また、今後、どのように接してやったらよいのかなんとか見とおしも立ちそうになって、ほっと一安心いただいているかもしれませんし、また、それはそれで心配をより一層つのらせておられるかもしれません。
(もっと実際の具体的な対応のしかたについては、次の第Ⅱ部でお話ししますが。)

そして、実際に子どもの困りごとに対応していくためには、そのような客観的に見つけ出した子どもの苦手を、さらにもう一度、子どもが自分で実際に体験しているとおりに、いわば翻訳してみることが必要になります。
客観的に外側からみた子どもの困りごとは、例えば、「大人の指示に従わない」、「同年代の子どもと遊ばない」、「落ち着きがない」、「かんしゃくをおこしやすい」といったことです。
しかし、それを子どもの側からすると、「そう言われても、何をどうしたらいいのかわからないヨ~」、「ほかの子と遊びかたがよくわからなくて、ツマんないヨ~」、「大勢の中にいると、イライラするヨ~」、「もう、どうしたらいいのかわからなくて、不安でタマラナイッ~!」など、その子どもなりのどうしようもない事情があるものです。
それがどうしようもないのは、発達のアンバランスによるものだからです。

その子どもなりのどうしようもなさを、子どもが感じたり思ったりしているそのままを、そのなかなかことばにならないところを、できるだけ子どもの側に立って想像してみることが必要になります。
そして、できることなら、本人がことばにできるよう促してみる。
それが無理なら「こういうことなのかなあ」とこちらが想像できる限りをことばにして、声かけしてあげる。
そのような翻訳が大切になります。
そうして、それに合わせて対応することです。
例えば、「『廊下は走りません!』じゃ、どうしていいかわからないのね、『廊下はユ~ックリ歩きましょう』だね」、「ほかの子とどう遊んだらいいかわからないのね、(子どもどおしのあいだに入って)こんなときはこんなふうにすると楽しく遊べるよ」、「大勢の声で落ちつかないのね、ときには一人で遊ぶのもいいかもね」、「あっちの静かな方へ行って、まずは落ちつこうか」など。

苦手という、子どもにとってはどうしようもない事情があってのことです。
親としても、子どものことを思えばこそ、どうしても、子どものできないことを叱ったり、何度も教えて修正しようとして、「できない」をくり返してしまいがちになってしまいます。
親自身も疲れ、言うことをきかせられない自分を責めたりされることになるかもしれません。
また、子どもも自信を持てず、やる気までなくしてしまうことになるかもしれません。
かといって、外側から子どもの行動を観察して診断名が示す特徴にあてはまるものを探そうとする“診断という客観的な目”ばかりでは日常生活がやっていけません。
うまく対応するためには、子どもの側に立って、子どもが体験している気持ちをそのままに想いやる“親としてのまなざし”も、やはり必要なのです。
それが、たとえ“ひいき目”であっても、全然かまわないと思います。

診断をそれはそれとして受け入れながらも、「それでも、うちの子にはこんないいところがある、そこが、こんなにいとおしい」というまなざしです。
それによって子どものもつ苦手なことも、反対に、その子らしい得意なことに見えてくるかもしれません。
そうして、子どもといっしょに、そのような困りごとへの対応を考えていってあげることが、そうして、できたときにはいっしょになってよろこんであげることが、子どもにとっては何より安心で、また実際に効果的と言えます。

こうして見ていくと、「“障害”でもあり“個性”でもある」ということが、何となくわかっていただけると思います。
“障害”という視点と“個性”という視点とは、相反するものではなく、お互いに補い合っていくものです。
先で“発達障がい”という表記を用いました。
それにはこのような「“障害”でもあり“個性”でもある」という含みもあるのです。

■自閉スペクトラム症をもつ子どもの得意と苦手の例

自閉スペクトラム症をもつ子どもの、たとえ苦手なことであっても見方をかえれば、つまり、“親としてのまなざし”から見ると、得意なことに見えてくるかもしれません。
では、子どもの苦手が、どのような得意として見えてくるでしょうか?
そして、苦手は、子どもの側に立って、子どもの体験するとおりに見てあげたとき、どのように表現(翻訳)されるでしょうか?
その例を挙げてみます。
同じような内容であっても、表現のしかたによって、子どものこころにしっくりくる(フィットする)こともあれば、そうでないこともあります。

まずは得意から

  • 見て気づくのが得意(特に興味・関心がある物)
  • 見て覚えるのが得意
  • 見て分かるように伝えてもらうとわかりやすい
  • 文章で書いて解説してもらうとわかりやすい
  • 好きなことは、よく覚える
  • 好きなことはとても集中できる、くわしい
  • 好きなことなら、くり返してもあきない
  • 知的な好奇心が強い
  • 興味・関心の持ち方がユニーク
  • みんなが思いつかないことを思いつく
  • 記憶力がいい人も多い
  • 自分の決めたことはやり抜く強さがある
  • 目標を達成したい気持ちが強い
  • 目標に向かって努力する
  • 理屈を教えてもらえは、納得できる
  • 秩序・ルールを愛する、秩序を見つけたい
  • ルールはきちんと守りたい
  • 先がわかっていれば安心、実力を出しやすい
  • いつもどおり、予定どおりだと、すっきり安心
  • 信念の人(いい意味でマイペース)
  • グループ学習より、ひとり(少人数)のほうが、勉強がよくわかる・集中できる
  • 多人数で何かをするよりも、ひとりのほうが実力を出しやすい
  • 大勢で共同作業をするよりも、ひとりのほうが落ち着いて作業を進めやすい
  • ひとりで趣味を楽しむ力がある
  • ことばを正しく使いたい
  • 日本語に対してまじめ、向上心がある
  • 熟語や専門用語に関心があり、よく知っている
  • まじめ
  • やさしい
  • 努力家
  • がまん強い
  • 正直・人をだますのがいや
  • おだやか
  • 弱い者イジメは嫌い
  • ズルやいじわるをしたくないと思っている
  • 同じ失敗をくり返さないように努力している
  • 責任感が強い

苦手は?(子どもの側に立って、翻訳すると)

  • 自分の気持ちをことばで説明するのが苦手
  • 苦手なので、ことばで説明するのをあきらめてしまうことがよくある
  • うまく伝えられなくて、困ることがよくあるし、誤解されてしまうこともよくある
  • 言いたいことがうまく言えなくて困る
  • 相手の言うことがわからなくて困る
  • 話しことばだけだと、わかりにくくて心配
  • 会話だとよくわからないことがある
  • 好きなことを途中でやめるのは苦手
  • 途中でやめさせられるとイライラする
  • 気になりだすと気分をかえられなくて、ずっと考え続けてしまいがち
  • 考えや行動を切りかえるのが苦手
  • 目標が達成できないとイライラしやすい
  • 急に予定が変わると、心配になりやすい
  • 予想と違うと、すごく心配・イライラする
  • 予想と違うと、すごく疲れる・心配
  • 新しいことは、すごく疲れる・心配
  • ルールがちゃんと決まっていないと、心配で落ち着かない
  • どうやればいいのか決まっていないと、心配
  • たくさんの人といっしょに何かするのは疲れる
  • 友だちとのやりとりで苦労することが多い
  • 友だちづきあいが、なんとなくうまくいかない
  • 気を使うわりには浮いてしまうし、疲れる
  • 他の子どもの考えや行動が納得できなくて悩む
  • 相手の考えや気持ちがわからなくて困る
  • 大人数は苦手
  • グループで相談して何かをするのは苦手
  • グループ学習は、苦手・すごく疲れる
  • 人ごみが苦手
  • 人ごみでの疲れがはげしい
  • うるさい音が苦手
  • 大きな音や人のざわめきが嫌い
  • 人にわかってもらいにくい、特別な物が怖くて悩む
  • うっかりや気が散りやすくて困る
  • 忘れ物や,なくし物で困る
  • 字を読んだり、書いたりすることが苦手、計算が苦手
  • 運動や、手先の細かなことが苦手
(2)ADHD(注意欠如多動症)とは?
■ ADHDの特徴 - 特に、時間の感覚の違いに注目して

ADHDも自閉スペクトラム症とならんで多い神経発達症であり、「その両方をあわせもつ人が意外に多いこと」が最近の研究でわかってきました。
そのADHDの特徴は、次の3つです。

① 落ち着きがなく、いつも身体のどこかを動かしていて、じっとしていることができない。
好奇心が旺盛とも言え、楽しいことが大すきで、むやみにはしゃいで、テンションが上がる。
反対に、たいくつなことには、がまんして取りくめない。
「多動」

② がまんや待つことが必要なことをあたまではわかっているものの、多動も関連して考えが次々とわき出してきて、深く考える間もなく、ふっと、すぐに行動に出てしまう。
「衝動性」

③ 注意がそれたり、もれたりし、気が散りやすい。
一方、楽しいことには過度に集中してしまう。
また、ものごとを前もって計画し、要領よく段取りしてとりくみ、予定どうり最後まで仕上げることができない。
「不注意」

これらは、子どもならどの子にあってもおかしくない特徴でもありますが、その特徴が、脳の情報処理の働きの発達上のアンバランスのために年齢や発達の段階に見合わないほどに極端に目立ってしまうことです。
よく言われるような「親のしつけがなってない」とか、ましてや「本人のわがままやなまけている」ということではありません。

ADHDについてあらためて脳の情報処理のしかたという視点から見ると、ADHDに特徴的なのは「時間」の情報処理のしかたの違いということができます。
時間に対する感覚は、子どもとおとなとではずいぶん違います。
例えば、1時間待つということでは、1時間先はおとなにとっては「すぐ」かもしれませんが、子どもにとっては「はるか先」です。
何かやりたいときや欲しいものがあるとき、おとなにとって「ちょっと待つ」ことは簡単ですが、子どもは「今すぐ」でないといけなかったりします。
また、子どもはいったん約束しても少し時間がたつと、そんな約束などなかったかのようにふるまいます。

これらの特徴は、子どもの方が、がまんが足りなかったり、わがままだったり、責任感がないからでしょうか?
一見そのようにも見える子どものこのような行動の特徴は、子どもなりの“時間の感覚の特徴”として見るとわかりやすいのです。
つまり、子どもはおとなよりはるかに短い“時間の伸び広がり”の感覚の中を生きています。
それこそ瞬間瞬間を生きているとも言えます。

このような時間の感覚の特徴が、年齢や発達の段階に見合わず強くあらわれているのがADHDであり、その具体的なあらわれかたが「不注意」や「多動・衝動性」であると言えます。
例えば、不注意で一番目立つのが、同じ作業に長く取りくめず「すぐに気が散る」ということです。
つまり、注意の持続時間が短い、つまり「“時間の伸び広がり”が狭い」と言うことができます。
そのような不注意では、実際に、話しを聞いていても、特に話しが長くなると上の空になりやすく、相手の言うことや書いてあることがあたまに入らないため相手の指示が守れず、ミスにもつながります。
また、よくものを失くし、忘れものや毎日の日課のし忘れが目立ちます。

注意は、ものごとを前もって計画し、要領よく段取りして最後まで計画的に仕上げる能力としての“実行機能”も含み、これにも、時間感覚が大きく影響していると言えます。
その実行機能という意味での注意に困難さがあると、単発的な単純作業はこなせても、長期的な見とおしや段取りを要する作業や、じっくり時間をかけて取りくむような仕事は苦手でつい後回しにしがち、といったことが起こってきます。

次に、「衝動性」とは、ふつう「冷静さを失い、感情的になって突っ走る」ような様子を想像しがちです。
ところが、実はそれとは違って、「相手が言い終わる前にしゃべりだしたり」、「会話に割り込んだり」、「順番が待てない」など、つまり、何かをやろうとしているとき、一瞬の“間合い”を年齢に見合わないほど長く感じ、待ちきれなくなって、フライングしてしまうところと考えられます。
それこそ、時間感覚として、「“時間の伸び広がり”が狭い」世界を生きているということです。

そして、「多動」は「衝動性」と関連が強く、じっとしているのが苦手でつねに身体の一部を動かし、ときには席を立ってしまったりして、何かに静かにじっくりと取りくむことができない状態をいいます。
次々考えがわき出して、よくしゃべり、焦っているかのように動きまわり、ゆっくり安定した時間を過ごすよりも不安定さやときには危険なことの方を好んで、それにどんどん挑んでいく、好奇心が旺盛というようなところがあることです。
ある一定の時間のあいだ同じ状態にとどまることができず、常に新しい刺激を求めて動きまわる傾向はもともと子どもにみられる特徴ですが、年齢に見合わないほどにその傾向が強く、さらにその傾向が衝動性によって行動としてあらわれやすくなったのが「多動」ということです。
これも、つまり、時間感覚として「“時間の伸び広がり”が狭い」と言うことができます。

ADHDをもつ人の中には、始終身体を動かしていたり、周囲がざわついている方が快適に感じられ、逆に集中しやすい人がいます。
これは、ADHDをもつ人にとって、「常に時間が刺激的であって、そのような刺激的な時間が滞りなく流れていることが“ここちよく”感じられる」ということなのかもしれません。
ADHDをもつ人は、注意の困難さとして、一旦何かに注意を向け始める(例えば、車の運転で前方へ注意を向ける)と、その注意をほかのことに配分(ある程度左右や後ろにも気を配る)したり、注意の方向を転換する(右折で右方向へ注意を振りむける)ことができなくなることが多くあります。
つまり、一つのことに気をとられ過ぎてしまうことで、これを過集中といいます。
これも、ある意味「“時間の伸び広がり”が狭くなりすぎて、時が経つのも忘れているような状態」と言うことができます。

■ADHDの特徴は年齢とともに様ざまに変わってきて、気づかれにくい

ADHDの特徴のあらわれかたは様々で、現時点で多動・衝動性だけが目立つ子ども(人)、これは男性に多く、また、不注意だけがみられる子ども(人)もいて、これは女性に多く、さらに、この3つの特徴がすべてみられる子ども(人)もいます。
不注意だけの場合は意外に気づかれにくいものです。

また、成長の過程でそれらの特徴のどれが優勢にあらわれてくるか変化していきます。
一般的に、多動・衝動性は年齢とともに、一般に3~4歳ころに目立ち始め、小学校中学年ころにピークに達し、その後小学校高学年くらいで少し落ちついていき、20歳前にさらに落ち着くという経過が多く見受けられます。
ところが、不注意は大人になっても依然つづくことがあります。
しかし、おとなになって見かけ上多動・衝動性が落ちついてきても、もともとあるADHDの気質のようなもの(“時間の伸び広がり”の狭さ)はやはりおとなになってもつづいていることが多いようです。

つまり、身体面での多動がなりをひそめても、例えば、仕事を進める際に、それまでの古いしきたりや慣例を無視して、どんどん新しいことに突き進んでいくといった性格的な特徴として依然つづくこともあります。
おとなの場合、ソーシャル・スキルがある程度身についてきているため、激しい多動や極端な不注意などのように社会生活を破綻させるほどの行動はたいてい修正されてはいます。
それでも、「あわて者」、「安請け合いしてしまう人」、「新しいもの好きな人」、「期限を守らない人」、「懲りない人」などといった性格的なものとして目につきがちです。
その一方で、「好奇心に富む、バイタリティに溢れる人」、「決断の速い人」、「集中するとすごい人」、「次々に新しいことを思いつくアイデア・マン」などと評されることも多く、それなどは、ADHDの特徴がプラスの面として発揮されていると考えることができます。
このようにおとなになったときのことまで含めると、ADHDの特徴はほんとうに様ざまな形をとってあらわれ、また、まるで性格と一体になったかのようにしてあらわれ、非常に気づかれにくいことが多いようです。

■ADHDと自閉スペクトラム症をあわせもつ場合-子どもで見られる例から

ADHDをもつ子どもで(どの子どももこの例のとおりというわけではなく、架空の一つの例ですが)多動・衝動性が優勢な場合ですと、次のようになりがちです。

  • 幼稚園でいつも落ちつきなく動きまわっているが、何かに夢中になると名前を呼ばれても気づかない。
  • 遊具で遊ぶときも、順番が待てずつい割り込んでしまいほかの子とトラブルになる。
  • 小学校に上がると、調子に乗って先生によく注意されるが、クラスでは意外に人気者だったりする。
  • 忘れ物が多く、家でも宿題をグズグズ先延ばしにしてしまい、寝る前になって初めてあわてる。
  • 片付けができず、机の上から周りまでもので一杯。
  • 試験では、計算ミスや問題の読みまちがいや読みとばしが多い

といった具合です。

そして、そのADHDに自閉スペクトラム症の特徴があわさってくると、これも架空の一つの例ですが、次のようにもなります。

  • 幼稚園では、よく動きまわり、“他の子どもが嫌がっていてもそれに気づかず”世話を焼きたがり、トラブルになる。
  • よくしゃべり、“相手が先生でもその言いまちがいを細かく指摘する”。
  • 小学校に上がると、“嫌な行事や気が進まないときは休み、次の日はケロッとした顔で登校する”。
  • 怒ると、“床にものを投げつける”。
  • “学校からの行事のお知らせを親に届けず”、行事に支障が出てしまうが“それでも平気でいる”

といった具合です。

つまり、“”内で示したのは、「友だちや学校集団の中でどうふるまえばいいのかがわかりにくい」(対人相互的反応の困難)といった特徴で、それがADHDの特徴にあわさってきます。

ADHDに自閉スペクトラム症があわさっていても、学童期までは、多動・衝動性が優勢な場合では、そのADHDの特徴の方が目立ちますので、“ADHD”と診断されていることが多いようです。
それが、成長するにつれてADHDの特徴が落ちついてきて、今度は自閉スペクトラム症の特徴の方が目立つようになってきて、“自閉スペクトラム症”と診断が変わるということもあり得ます。

ADHDのために、特に学童期などに友だちとのトラブルや先生に叱られることがくり返えされると、子どもはだんだん自信を無くし、「自分で自分のことをたいせつに思う(自尊心)」ことができなくなってきます。
ですので、自尊心が育ってくる、子どもの成長にとっては大切なこの時期に、なるべく早期に子どもの特徴にあった環境の調節と周囲の対応が重要になります。

また、ADHDには治療薬がありますが、成長し自然と落ちついてくるまでの間を、服薬して子どもらしく安心して、平穏に過ごせるようにすることも重要な対応の一つと考えられます。

(3)自閉スペクトラム症やADHDをもつ子ども(人)の自律と社会性に向けた支援とは
■“自律”や“社会性”についての一つの見かた

最近の研究では、自閉スペクトラム症やADHDをもつ人の割合は、自閉スペクトラム症で人口の10%、ADHDで5%と報告している研究データもあります。
これは、予想に反して多いと言えるのではないでしょうか。
その中には優れた能力や才能を発揮する人もいて、芸術家や学者、スポーツ選手などにも、これらの特徴をもつ人は多くいます。

つまり、一見“苦手”に見える特徴も、見ようによっては“得意”に、また、生かしようによっては一つの“才能”にもなるということの証拠と考えられます。
しかし、日常の生活では様ざまな困難をかかえやすいため、その特徴に見合った支援が必要です。
成長段階によっては、Ⅱ部で述べるような幼児期での具体的なはたらきかけから、やがて思春期を迎え自分なりに試行錯誤ができるようになった本人に対しては、周囲の「ここで見ているからね」という一歩引いた見守りであったり、成人期ではあくまで本人の自主性を尊重した、それこそ“応援”ともいえる姿勢が大切でしょう。
といっても「支援を受ける」というと、何かひけ目に感じられがちです。

しかし、
「自分にできることは自分でやる、できないことは無理しない。
でも、できないことをそのままにしておくのではなくて、誰かに相談し協力を求めること(社会性)、また、ときには勇気をもって撤退すること」
です。

つまり、常識的な社会的ルールを守り、その範囲内で、周囲と相談しながら自分で自分をなんとかしていくこと(自律)です。
これは、誰にとっても等しく、“自律”や“社会性”として必要なことではないでしょうか。

子どもの場合でいうと、幼児期から適切な対応や支援が行われ、やがて思春期を迎えて、自立に向けて「何とか自分でやっていける」とこれから自分のやっていくことへの“自信”が育っていくことと、「何かのときにおとなは話を聞いてくれるし、必要とならば手を貸してくれる」という“信頼感”が育っていくことの両方が何より大切です。

■支援ということの意味:平等より公平さを!

例えば、人には右利きと左利きとの“違い”があります。
実際、字を書くときの筆運びにも違いがでてきます。
また、脳の情報処理の働きにも、右利きと左利きとでは違いがあるとも言われています。
さらに、直観的か論理的かといった脳そのものの働きの特徴から、右脳タイプと左脳タイプという脳のタイプの違いもあると言われています。
そのような違いはあっても、どちらにも決して優劣はつけられません。
ただ、利き手で言えば、数的には右利きの方が圧倒的に多いということがあり、右利きは「多数派」で左利きは「少数派」ということになります。
例えば、“ハサミ”にも右利き用と左利き用との別がありますが、「多数派」の右利き用のハサミがほとんどで、左利きの人は、使いづらいのをがまんして右利き用を使わざるを得ないという不利があるのも事実です。

神経発達症(発達障がい)をもつ人を、世の中の大多数の「多数派」に対して、「少数派」と呼ぶこともある。
「脳のタイプの違い」と言うこともある。
また、「異なった文化を生きる人」つまり、異なる社会や集団のそれぞれに固有の、考え方・行動様式・生活のしかたに従って生きる人という見方もあります。
それでも、現在の世の中のしきたりや制度、さらに常識というものにいたるまで、それらは世の中の「多数派」に合わせて作られていると言えます。

そこで、「少数派」が少数であるがゆえにかかえざるをえない“不公平”を埋め合わせるために役立つものとして、支援ということを考えてみて下さい。
それは、ちょうど下図のような足台として、「“公平”を実現しようとしているのだ」と言っていいのではないでしょうか?

(“平等”と“公平”の意味の違いについての一つの見方を下図で示しています。※左が平等、右が公平)

平等と公平